ゆらめく憂鬱

もったりクリームみたいな

今日も女の子でいられる

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こんばんは。日の出とともに眠る、ゆらめきちゃんです。

スカウト

あったかい季節になると、ナンパとスカウトが格段に増える、気がする。あいつらは虫と一緒だ。冬もいないわけじゃないが、春になると活動が活発になる。個体数も増える。道端で立っていても寒くないのと、都会に慣れていない新入生を狙いたいのが主な理由だろう。東京に一年以上住んでいる若い女の子なら、男のたたずまいや視線で、どいつが自分に声をかけてきそうか大体分かる。とか考えてたら、ほらあいつ、派手なスニーカー履いて髪の毛キメキメな若いおにーちゃん、さっきまで壁に寄りかかってたのに、こっちに向かって一直線だよ。

「お姉さんお姉さん!学生さんですか?」

最初っから距離近すぎだよ香水きついなあ、肩ぶつかりそう。

「アッこっち向いた!え、マジでかわいいっすね、なんかバイトとかしてるんすか?この辺?お店教えてよ~~~」

ヒール履いてるわたしと目線一緒。ちっちゃいなあおにーさん。全身グッチとバレンシアガ、ときどきシュプリーム。ぴたぴたで穴の空いたジーンズ履いてる。足元はやたらでっかくてやたら派手な蛍光色のスニーカー。スカウトの人ってさ、たくさんお金かけてがんばっておしゃれしてるんだろうけど、それが逆に「スカウトっぽいファッション」を確立させちゃって、こうやって小ばかにされてるの、ちょっとかわいそう。

「ねえねえ時給いくらなの?普通のカフェなら1000円とかでしょ?マジでもったいないよ。おねーさん、その顔で時給1000円はもったいない!ガールズバーやんない?」

わたしそんなにカフェで働いてそうな見た目?もらえる金額を上げるために、女を売らなくても生きていけるようになるために、わたしは今大学に通っているわけだけど。今水商売したら、そんなの本末転倒じゃん。でもこの人にはわたしのこの美学、伝わらないんだろうな。村上春樹も言ってた、「説明しないと分からないのであれば、説明しても分からない。」めんどくさい。どっか行ってくれないかなあ。この人と一言もお話ししたくない。

でもあんまり無視してると、「調子乗んな、ブス!」みたいな捨て台詞を吐かれる。ダメージ受けたくないけど、男の人に怒鳴られるのって、やっぱり、怖い。わたしの1日のご機嫌を守るために、こんなくだらない人のために、作り笑顔で愛想を振舞わなきゃいけない。

 

ナンパ

ナンパも同じ。あの手この手で声をかけてくる。どんなもんかと思って顔を見たらもう終わり。食いつきがいいと勘違いされて、勝手にペラペラ喋ってくる。(しかも見るに耐えない顔が多い)どう見てもふた回りは年上であろうおじさんが意外といる。いい年の取り方してないから、年上の色気を全く感じない。若い女の子からいくら搾取しても、それはあなたの魅力にはならないよ。

 

人間関係を築いているつもりが、相手の自己満足の糧になっていたと思うとゾッとする。勝手にスト値を決められて、即に持ち込めたらツイッターのbioに書いてある即数が増える。女の子を、人をなんだと思っているんだろう。あんな奴らの有象無象になんて、絶対になりたくない。

 

ナンパ界隈についての知識を得てから、男の人に声をかけられることを必要以上に嫌悪するようになってしまった。ナンパ師から見たわたしは自己満足のための餌でしかなく、スカウトの人から見たわたしはお金稼ぎの資材でしかない。そんな極端な考えが生まれてしまった。

 

もちろん、道端での運命の出会いを否定するわけではない。ハンカチを落とすのは永遠の定番だ。電車の座席にポーチを忘れたら、追いかけて届けてくれる人だっている。(この2年間で3回は届けてもらった。日本優しい。)(ドジ)

 

悪い人ばっかりじゃないのはわかってる、なんだけど、ナンパ界隈は大きくなりすぎたし、東京には悪い大人が多すぎる。繁華街にはスカウトが多すぎる。ただ街を歩いているだけで、性的搾取を受けそうになるのには、もう疲れた。わたしがここまでダメージを受けている時点で、これはすでに一種の性犯罪なのでは?自意識過剰だと思うなら笑ってくれ。

今日も女の子でいられる

見切り発車ブログなので、ここでさらに論はもう一回転する。道端での声かけを嫌悪している、と語ってきたが、「声をかけられてどこか安心する自分がいる」こともまた事実なのだ。なんとか可愛く見せたい、小綺麗にしたいと悩んでいる自分の努力が機能していることに安堵する。ああよかった、今日もちゃんと、女の子でいられている。

 

哲学者のボーヴォワールは、女は「第二の性」であるとし、女は男から「女」であると定義される、支配されることで「女」になる、と主張した。以下で彼女の言葉を受けてのわたしの解釈を語る。

 

世間はブスに厳しい。男の子は多少顔の作りが残念でも、背が高かったり、スポーツができたり、話が面白かったり、何か一つあれば、同性にも異性にも受け入れられるチャンスがある。女の子は清潔感に敏感だが、顔の造形には寛大だ。男の魅力は、見た目に(あまり)左右されない。金と権力と筋肉で決まる。

 

しかし女は違う。何をしていても見た目についての批評がつきまとう。「美人すぎる弁護士」みたいに。恋愛市場においては、極端に言うと、不美人は人間以下の扱いをされる。男の子はすごく残酷だと思う。可愛い子はどこまでもちやほやするのに、可愛くないと判断した子は、バッサリ切り捨てる。「女らしい」特徴がないと、女としても、人間としても扱ってもらえないのだ。

 

「可愛い女の子」として扱われなかった経験が、わたしの中にどす黒く溜まっている。コンプレックスから生まれるエネルギーは、良くも悪くもばく大だ。「可愛い女の子」枠に収まっていたい。雑に扱われたくない。人からの評価で自分の価値は決まらないなんてきれいごとだ。わたしたちは小学生の頃から、他者からの評価たっぷりの通信簿をもらってるじゃないか。

 

ああどうか


「この前合コンで会った子、ラインくれるんだけどかわいくないからうれしくないんだよね。」
カラッと笑いながら話す彼を思い出す。悪気がないのはわかってる。わたしだって見た目のいい人間が好きだ。けど、これは男がセフレに対して抱く本音に通じるんだろうなあと、心に刺さった。

ああどうか、わたしは彼の「可愛い女の子」リスト、「本命」リストに入っていますように。

おしまい