ゆらめく憂鬱

もったりクリームみたいな

お人形さんみたい

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こんばんは。寝ると捗るゆらめきちゃんです。

 

日本語は多彩。口説き文句も褒め言葉も無限にある。言葉を大事にできる人は、きっと相手を大事にするのも上手。言葉はその人だけでなく、相手の気持ちも彩ります。

お人形さんみたい

わたしにとって特別な褒め言葉は「お人形さんみたい」。そうそう言われる言葉じゃないので、言ってくれた人とシチュエーションは大体記憶している。覚えておこうと思って覚えているわけではなく、心の中に澱みたいに溜まっている。中学時代、ふと友達に言われた。高校時代、後輩のお母さんに、駅のロータリーで声をかけられた。好きだった男の子に、わたしのベッドの上で言われた。最近また言ってもらえたのがきっかけで、記憶がぽわぽわ復活してきた。

 

一生のうち、この言葉を言ってもらえる女の子って何割くらいいるんだろう。現実は残酷だね。

 

これはけっこうマジな話なんだけど、高校時代、わたしは部活仲間からお人形さん認定されてた。中身が全然可愛くなくて、同期で1番破天荒だった。同期で1番モテなかった自覚もある。でも、彼女たちはふざけて、わたしに「フランス人形のジェシカちゃん」ていう設定をくれた。そうやって呼ばれたときだけふざけておしとやかにして、わたしもキャラを楽しんでた。瞳も髪の毛も真っ黒だったから、フランス感なかったと思うんだけどね。そういえば、この前の男の子も、「フランス人形みたい」って付け加えてた。日本人の意識の中では、“西洋人形=フランス人形”なのかもしれない。

 

見た目至上主義で完璧主義を拗らせたわたしにとって、「お人形さんみたい」という言葉は最上級の褒め言葉。造りものみたいに可愛くなりたい。「隙があるほうがモテる」なんて言うけど、綻びがある自分で居たくない。コンプレックスとか、気に入らない部分は着実に消していきたい。そんなわたしの思想が認められた気がするから、この言葉が好きなんだと思う。

 

完全に見た目重視な褒め言葉であることも重要な気がする。容姿を褒められて不快になる女の子はそうそういない。「美人は褒められ慣れているから褒めちゃいけない」なんて言うけど、素敵だと思ったら素直に伝えるのが1番健康なんじゃないかな。相手の内面ばっかり勘ぐるその気持ち悪さを、美人は警戒しているんだと思うよ。

 

そもそも「褒められ慣れる」という現象がわからない。友達に褒められたら嬉しいし、好きな男の子にだったら1週間はぽわぽわしちゃう。バイト先に来る常連さんにしみじみ「美人だね〜」なんて口説かれるのもまんざらでもない。(酔っ払いおじさんだから適当にあしらうけど)。清潔感とか、小綺麗にしようとしているわたしの努力がちゃんと機能していることに安心する。基本的に性善説で生きているので、割と真に受けてしまう。さすがに頭があったかすぎるので、そろそろどうにかしたい。ちょろすぎる。

見た目と内面

ここでもう1度、「お人形さんみたい」について考えてみたい。この言葉はわたしの見た目を評価しているが、内面は見ているのか?

 

答えはたぶん、Noだと思う。わたしの中身は透明化されている。人類みんなわかると思うけど、自分の中身を見てもらえないのって、すごくつらい。じゃあなんで、わたしはこの言葉が嬉しいんだ?

 

それは、“気心の知れた人が、改めて外見を評価してくれたから”なんじゃないか。多分だけど、今までこの言葉をわたしにくれた人はみんな、お人形の特徴の「清廉さ」「庇護欲」のような親しみをわたしに感じてくれてたんだと思う。愛を伝える言葉として、「お人形さんみたい」を選んでくれた。どうやらわたしは、素敵な言葉を選んでくれる人に恵まれたみたいだ。(深夜に考えすぎたらうぬぼれちゃんになってしまった。恥ずかしい。)

 

「お人形」は一歩間違えたら「ラブドール」になってしまう。ナンパやスカウトのお兄さんに言われたらと考えると、この言葉は一気に褒め言葉ではなくなる。相手の内面を全く見ていないことが顕在化されてしまうからだ。お人形に支配欲と性欲をぶつけたら、それはただのラブドールだ。

 

「お人形さんみたい」。口説き文句としては、諸刃の剣みたいだ。相手との関係によって、伝わる感情が異なりすぎる。

 

特別な人に愛を伝えるための必殺技として、とっておくのがおすすめかな。