ゆらめく憂鬱

もったりクリームみたいな

たこらせてくれた話

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こんばんは。つまみ食いポケモンの、ゆらめきちゃんです。

高校2年

高校2年。制服は全く可愛くないけど、全国でも高めの偏差値。格式高く伝統を重んじてて、地域の人からとにかく愛されていた。制服を着て自転車を漕いでるだけで、優しそうなおばあちゃんから「○○校生、えらいわね」なんて声をかけられた。正直、まんざらでもなかった。田舎万歳。中学の時からの努力が、報われたような気分だった。塾で鼻血出すまでお勉強して、よかった。

 

毎年ちゃんと東大を出すレベルの学校だったので、授業がとにかく早かった。なのになぜか文武両道を掲げていて、帰宅部が存在しない。部活もほぼ毎日あった。わたしの土日の記憶のほとんどは体育館色だ。課題も小テストもぽんぽん出され、いつも睡眠不足だったことを覚えている。数学の課題、月曜の朝の電車で写したな。青チャートの写経、懐かしい。思い返すと、正気の沙汰じゃない。

 

初めてめまいで倒れたのも高校2年だった。「なんか今日体が右に傾くんだよね〜」なんて言いながら普通に登校した。なにかがおかしいのは分かっていた。けど、慢性的な睡眠不足と成績へのプレッシャー、部活に出なくてはという義務感が重なり、正常な判断ができなかった。なんとかなるだろうと決めつけた。とにかく目の前にやるべきことが多すぎた。「つらい」の基準がバグってしまっていた。周りの子がみんな真面目で頑張り屋で、なおかつ能力も優れていたから、そんな中にいて、落ちこぼれのわたしが弱音を吐けるわけなかった。

 

どうやって保健室までたどり着いたのか思い出せない。まだ太陽が昇りきらない時間だったと思う。保健室のベッドで横になった瞬間、世界が回り始めた。正確に言うと、わたしの目がぐるぐる回った。自分の意思で動かしているわけじゃないのに、世界は激しく右回りだった。どうやら横になったのがよくなかったらしい。急激な吐き気に襲われて、気づいたらお母さんの車の中だった。迎えにきてくれたんだ。病院に連れて行かれる。さよなら部活。さよなら数学の追試。わたしの荷物運んでくれたであろうRちゃん、ありがとう。お母さん、お仕事休ませちゃって、ごめん。

 

たこる

この一件があったからなのかは分からないが、わたしの母親は、わたしが学校をサボる、ズル休みすることに非常に寛大だった。「なんで?」「だってゆらちゃん、いつも頑張ってるじゃない。今日くらい休んでいいわよ。」

 

毎週月曜日が大嫌いだった。月曜提出の通称「週課題」は終わってないし、何より、数学の小テストがある。6割未満で木曜日の放課後に追試。わたしはこの小テストに受かった記憶がほとんどない。本当に数学がダメで、追試も受からない始末だった。返ってきた追試の答案には、数学の先生から「もっと頑張りましょう」のお言葉。受験で数学を使わないと決意してからは気持ちが楽だったけど、2年の半ばくらいまでは、痛くて痛くて辛かった。

 

友達が大好きだったし、好きな授業だってあった。部活にだって出たかった。だから、学校そのものが嫌いだったわけではない。けど、どうしても怖くて涙が止まらない日があった。

 

朝。なんとか電車に間に合うように起きる。行きたくない。だるい。つらい。お布団にくるまりつつ、お母さんと押し問答する。無理やり行かされた記憶はあまりない。安心して二度寝する。職員室が開くころ、お母さんが適当な理由を考えてわたしの欠席連絡をしてくれる。ありがたい。

 

お昼のニュースを見ながら、こたつに入って、お母さんの作ってくれたお弁当をおうちで食べる。家族はみんなお仕事や学校。ぽつんと残されたわたし。もちろんパジャマ。家のこたつで食べるお弁当は、なんだか不思議な美味しさがあった。

 

そんな感じで、高校2年は学校をサボりまくってしまった。あんまりサボり癖がついても困るから、連続で休まないようにはしていた。高2の成績表に書かれた欠席10、ほとんど全部サボりです。

 

皆勤賞になんて興味はない。時々ズルして、ご機嫌に生きるほうが素敵だと思う。悪いことしない子より、うまくごまかしちゃう子の方が、一緒にいて楽しい。上手にサボりを許してくれたお母さんには、心から感謝している。学校に行くとか行かないとか、極端な二元論に逃げないで、うまくサボりつつ折り合いつけていけばいいんじゃないのかなあ。

 

ちなみにわたしの実家では、サボることを「たこる」と言う。「今日学校たこっちゃえば?」親とは思えないお母さんの一言が懐かしい。

 

おしまい